中学生の頃に『anan』や『non-no』が創刊され、ファッションに目覚めた私は、大学を卒業後、当時結婚していましたが、1981年、「織物でショールなどを自宅で制作できたらいいな」と思い、成安女子短期大学造形芸術科染織コースに入学しました。
その同じ年に、織の担当教授だった小林正和氏(以下、私たちの呼び名は「ショーリン」)と、テキスタイル担当の草間喆雄氏が、共通の友人である浅井伸一氏と共に設立したのが、ギャラリーギャラリーです。
当時は無人ギャラリーで、オープニングの日だけ関係者が集まりました。学生や京都在住の外国人、時には有名女優も訪れるレセプションに、私たち夫婦は同級生や先輩たちと参加していました。種々雑多な人々が集うその場は、毎回刺激的で楽しいものでした。
床、壁、天井に至るまで真っ白な空間に自然光が入り、ガラス越しに作品を観る展示は、当時まだファイバーアートの「フ」の字も知らなかった学生の私にとって、まさに目から鱗でした。魅力的な展覧会が次々と開催され、そのたびに深く感動したことを覚えています。
その後、ショーリンは一人でギャラリーを運営することになり、その時点ですでに短大を卒業していた私は、搬入や搬出を手伝うようになっていました。しかし1988年、ショーリンがギャラリーを畳むと聞いた際、私が引き継ぎたいと手を挙げたのです。私と同じくショーリンの人柄に好感を持ち、ギャラリーギャラリーの魅力的な空間や人との交流に強く惹かれていた川島紘一の応援・援助もあり、その年、ギャラリーを引き継ぎ、2022年まで運営してきました。
壽ビルには家賃を払う必要があり、基本的には貸しスペースとして運営しました。また、企画展の際には参加費をいただくこともありました。それにもかかわらず、多くの作家(のべ600人以上になります)から多大な協力を得て、37年という長い年月、ギャラリーを続けることができました。
40年近く運営できたのは、利用してくださった作家や観に来てくださった方々の力はもちろんですが、ビルの持ち主である壽商事の方々に多大なご理解をいただけたことも、大きな支えでした。そして、海外の作家が訪ねてきてくれたり、私が出かけた国々で作家や展覧会関係者との交流を持てたことも、続けられた理由の一つです。
その始まりは、1987年に京都で開催された第一回京都国際テキスタイルフェア・コンペティション(ITF)でした。当時、ITFの公募展に入賞・入選した多くの海外作家が京都を訪れ、私がそれまで知らなかった作家たちと知り合うことができました。その後交流が始まったことが、海外で開催される国際展に興味を持つきっかけとなったのです。
それらの交流のおかげで海外の作家がギャラリーギャラリーを使うようになり、また海外で企画される展覧会のコーディネートや国際審査員として招かれる機会も増えました。そうした経験は、確かに私の大きな原動力になったと思います。そして、私の出張中の不在時にもギャラリーを任せられる歴代スタッフにも恵まれました。
とはいえ、コロナ禍を経験し、その頃から貸しギャラリーとしての運営が難しい時代になったと感じ始めたのも事実です。ネットとの関わりが一層深まり、特に若い作家にとっては作品発信がより便利になってきた状況の中で、空間やギャラリーの特質といった魅力よりも、対面にこだわらず、より手軽に、しかも世界へ向けて発信できる方法を選ぶ傾向が強まってきたように感じました。
それだけでなく、壽ビル自体の価値が高まり家賃が上がり続ける不安、また私自身の体力的な問題など、さまざまな理由が重なり、2022年でギャラリーを閉める決断をしました。
閉めるにあたり、国内外で関わった多くの作家や関係者への感謝とともに、ファイバーアートの素晴らしさを何らかの形で残しておきたいという気持ちが湧き上がりました。加えて、ホームページは存在していたものの十分に充実していなかったことへの反省もあり、ギャラリーギャラリーのアーカイブを、私の頭がクリアなうちに立ち上げたいと思うようになりました。
こんな私の勝手な思いでしたが、アーカイブチームを結成することができ、さらにポーラ美術振興財団からの援助を得られるという幸運にも恵まれ、充実したアーカイブをWeb上に公開することができました。
このアーカイブは単なる過去の振り返りではなく、当時国内外で活躍していた日本の作家や海外の作家、そしてこれからを目指す若い作家たちの作品を、多くの人々に観てもらうことも目的としています。これは今後の現代美術を考える上でも、とても重要なことだと思っているからです。
ファイバーアートは繊維を中心としたアートです。技術、素材、空間、そして作家のコンセプトが絡み合い、ジェンダー、民族性、手技やアイデンティティなど、さまざまなことを肌感覚で最も身近に発信できるアートだと思っています。
ファイバーアートという芸術を通して多様性を再認識することで、一人ひとりの理解が深まり、そこに対話が生まれ、平和的な交流を続けていく一助になるのではないかと私は考えています。
実際に作品たちを目にすることはもうできませんが、その空気感や、作品を発表した作家の気持ちは、きっと伝わってくるはずだと確信しています。
改めて、この膨大なアーカイブを立ち上げるにあたり、気が遠くなるような大変な作業を担ってくださったアーカイブチームの方々に、心より感謝しています。
1987年 第二室オープン記念展 オープニング から 左から 小林尚美氏 草間喆雄氏、小林正和氏、川島紘一、久保田繁雄氏
川嶋啓子

